福田繁雄大回顧展 ― 2012年03月30日 19時01分
笑いと驚き、そして感動の展覧会だった。
会場に入ると、「フクダのヴィナス」が出迎えてくれた(※写真は全て撮影可能な作品)。
誰もが知っているヴィーナス像に陰影をつけて、なんと自分像にしてしまっているのだ。
像の右側から見ると黒いヴィーナスにしか見えないのに、正面から左に立って見るとあら不思議、もう福田氏にしか見えない。
彼の写真と見比べてみると、そっくり! 視覚のトリックに驚く。
このシリーズで他にも多数展示されていたが、中でも「国芳のヴィナス」には拍手喝采したくなった。歌川国芳の「みかけハこハゐがとんだいい人だ」をヴィーナス像に描くとは、考えもつかない。眉目秀麗な顔が、裸の男たちで作られた滑稽なだまし絵にしか見えなくなってしまうから、美の女神も形無しである。
福田氏のこんな言葉が紹介されていた。
「僕がモナリザやミロのヴィーナスをよく引用するのは、世界中の人がそれを知っているからです。『知っている』ということは、コミュニケーションの半分以上をもう捉えているんですね。」
ただ単にユーモアと視覚のトリックを狙っているのではなく、万国共通の言語としてヴィーナスを用いているとは、なんとも奥深く感嘆することしきりであった。
「ランチはヘルメットをかぶって…」は、フォークやナイフ、スプーンなどを848本溶接した作品。一見金属の塊だが、後ろからライトを当てると、なんと影がオートバイに!?
見逃してしまいがちな影を主役にするとは、驚きの発想である。
「使えない食器」シリーズは、その名の通り実用出来ないものばかり。
「タコ足持ち手ポット」や「7つ注ぎ口のあるポット」など。
食器=使うものという常識を覆す発想。岡本太郎氏の「座ることを拒否する椅子」をふと思い出した。
福田氏が2007年11月10日に広島に来られた時に書かれた色紙が展示されていた。
「発見」「発想」「発展」。
この熟語の2文字目は、色を変えて重なるように書かれている。
まさに福田作品そのものを的確に表しており、大きく頷いてしまった。
常識にとらわれず、物事を多角的に見る柔軟さを教わったような展覧会だった。
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