善通寺へ初詣2014年01月01日 20時56分



香川県の善通寺へ初詣に行きました。
元日に初詣するのは、人生初です。
お天気は快晴。温かい一日で、気持ちの良い参拝が出来ました。

南大門をくぐると、本堂(写真)から続く参拝者の行列の最後尾が!?
「ここから並ぶのー?!」と心の中で絶叫。
30分以上かかって、ようやく本堂にたどり着きました。
ちなみに、弘法大師のご誕生所である御影堂に参拝するのは、45分も並びましたよ(゚Д゚;)
「いつもより人が多いんとちゃう?」
すれ違った地元の方らしき女性が仰っていました。
BS-TBSの番組「徳さんのお遍路さん」で、善通寺を2週にわたって放送した影響でしょうか。

なにはともあれ手を合わせ、すがすがしい気持ちになりました。
きっと良い一年になると胸を膨らませて、お寺を後にしました。

餡餅入りしっぽくうどん

参拝前に、善通寺駅から歩いて5分ほどの所にある「こがね製麺所」で、餡餅入りしっぽくうどんをいただきました。
香川県では、白だしに餡餅、大根、人参などが入ったお雑煮を食べるそうですが、これはその中にうどんを入れたようなものですね。
善通寺の廻廊に、お雑煮の由来が書かれていましたが、砂糖や小麦などを年貢として納めていた時代に、せめて正月だけは贅沢をしたいという庶民の願いから、このようなお雑煮になったそうです。
白だしの甘いうどんを食べるのは初めてで、不思議な味でした。

向田邦子さんの面影を訪ねて 終わりに2011年12月25日 23時45分

向田邦子さんが「故郷もどき」と呼び、乳がんが「万一再発して、長く生きられないと判ったら鹿児島へ帰りたい」と願った地。
私はたった2泊3日滞在しただけだが、そんな彼女の気持ちがおぼろげに判ったような気がする。

目を閉じれば、様々な表情を見せる桜島が浮かんでくる。
黎明の中にしっとりと立つ姿、朝日を浴びて黄金色に輝く神々しい姿、吸い込まれるような深い青色で優しく包み込んでくれるような姿。
桜島の荒々しさ、雄々しさ、優しさ…それは父と母の姿と重なり、「故郷」の原風景となるのではないか。
向田さん一家が過ごした風景の中に、いつもそこにあった桜島。
そこにあれば、片時も目を離したくないほど魅了されてしまう。
向田さんが「鹿児島感傷旅行」をした際、サンロイヤルホテルの窓から6時間も桜島を眺めていた気持ちがわかる。

五感で堪能した私なりの「鹿児島感傷旅行」。またいつか訪れたい。
向田さんの面影が、ほんの少し垣間見えたような素晴らしい旅であった。

向田邦子さんの面影を訪ねて 薩摩揚2011年12月25日 23時30分

薩摩揚
「『う』は、うまいものの略である。
この抽斗をあけると、さまざまの切り抜きや、栞が入っている。(中略)
仕事が一段落ついたら、手続きをして送ってもらいたいと思っている店のリストである。」――向田邦子「う」(『霊長類ヒト科動物図鑑』1984.8.25 文春文庫)

向田さんの「う」の抽斗にあり、お取り寄せしていたという勘場(かんば)蒲鉾店の薩摩揚(地元では『つけ揚げ』と言う)。
彼女がお好きだったのは、果たしてどれか――。
店先で、何種類も並んでいる商品とにらめっこする。
エッセイをよく読み返しておくべきだったと後悔しつつ、とりあえず詰め合わせを購入。
包装してもらう間に、店頭の試食品を頂いた。
口に入れた瞬間、何とも言えない旨みと甘みが舌に広がった。
噛むと心地よい歯ごたえで、海鮮の旨みが更に口いっぱいに広がる。
「何これー!? うますぎ!! 薩摩揚ってこんなに美味しいんだ! 今まで食べていた”薩摩揚もどき”の練物は、何じゃったん?!」と衝撃を受けた。
昔のアニメで、料理好きな主人公の男の子が、美味しい料理を食べると宇宙まで飛んで行く描写がされていたが、それくらいの衝撃だ。

会計を済ませて一旦店を立ち去ったものの、あの薩摩揚が忘れられない。
あれを自宅用に買ってたくさん食べたい、詰め合わせは友人へのお土産にしようと思い、再び店に戻る。
「さっき試食で頂いたのがすごく美味しかったんですけど、どれですか?」と店員さんに訊ねると、「上棒天です」と言われた。
つけあげも気になったので、上棒天と単品で1袋ずつ購入。
帰宅してエッセイを読み返すと、向田さんがお好きだったのは、どうやら「上棒天」だということがわかり、ガッツポーズ!!(*^^)g

「その薩摩揚が平べったいのではなく、人参やごぼうの入っていない棒状のだったりしたらもう我慢が出来ない。」――向田邦子「薩摩揚」(『父の詫び状』)

確かにこの上棒天は、美食家の向田さんでなくとも、誰でも「うまい!」と声を上げるに違いない。ほっぺたが落ちそうとは、このこと。
パッケージに「平成5年全国蒲鉾品評会 農林水産大臣賞受賞店」と書かれてあり、納得。
つけあげもジューシーで濃厚な旨みがあって、最高!
一度に食べてしまうのが惜しくて、ちょっとずつ口に運んでしまう貧乏性な私(^^ゞ
美味しくて、たくさん入っていて、しかも安い!
これなら私もお取り寄せして、また食べたいと思った。
心の中の「う」の抽斗にしまっておこう。

勘場蒲鉾店…鹿児島市中央町1番1 アミュプラザ鹿児島 B1(鹿児島中央駅に隣接するビル内。他にも多数店舗あり)
http://www.kanba.co.jp/
上棒天…400円(250g、11本入り)
つけ揚げ…400円(5枚入り)

向田邦子さんの面影を訪ねて ぢゃんぼ2011年12月25日 23時15分


ぢゃんぼ01

磯浜(磯海水浴場)にある桐原家両棒餅店で、磯名物「両棒(ぢゃんぼ)餅」を頂く。

向田さんは、お母様がこれをお好きだった為よく連れられて来ていた。

 

店先で注文して先払いし、裏のお座敷に回って頂く。

お座敷はガラス張りになっており、磯浜と桜島の絶景が迫っている。

「うわぁ~、いい眺め!」と思わず声を上げた。

ぢゃんぼは、直径3~4センチくらいの平べったいお餅の両面をこんがりと焼いて竹串を2本挿し、醤油あんをからませたもの(12本入り500円、お茶とお新香付き)。

ぢゃんぼを頬張ると、つきたてみたいに長く伸びて、びっくりするほど柔らかい!

こんなにとろけるようなお餅を食べたのは初めて。

焼き目の絶妙な香ばしさと、甘い醤油あんが口の中いっぱいに広がって、とても美味しい!(*´∀`)

 

ぢゃんぼ02

食後、向田さんのお父様はこのお座敷で昼寝をし、お母様と子供たちは桜島を眺めたり、浜に出て砂遊びをしたりした。

私もそれに倣って、お座敷でしばしくつろぐ。

窓の外を見ると、時期外れのせいか浜には数人しかいない。

海では強風をつかまえて、ヨットセーリングを楽しんでいる人がいる。

のどかな昼下がり。

海と空そして桜島の青が、目にも優しく穏やかな気持ちにさせてくれる。

もし私が鹿児島に住んでいたら、向田さん一家と同じように何度も訪れたくなるだろう。

美味しいぢゃんぼを食べて、ちょっと一息。

浜で潮風に吹かれながら、目の前に広がる大パノラマと波音を楽しむ。

「また来ようね」なんて言ったりして――。

 

桐原家両棒餅店…鹿児島市吉野町9679 磯海水浴場バス停下車すぐ

向田邦子さんの面影を訪ねて 城山展望台2011年12月25日 23時00分

城山展望台
「城山まで駆け足!」
先生の号令で、向田さんら児童が駆け上がっていた城山。
鹿児島市中心部に位置する標高107メートルの小高い山である。
展望台へと続く道中には、西南戦争で司令部の置かれた「西郷洞窟」がある。
九十九折りの急な坂道で、かけっこの得意だった向田さんでも息が切れたのではないかと思う。
おかっぱ頭をなびかせて走る「邦子ちゃん」が、バスの車窓から見えるような気がした。

展望台に辿りつくと、目の前に桜島、眼下には市街地が一望出来た。
天気に恵まれ、気持ちが良い。
向田さんがどの辺りまで走って来ていたのかはわからないが、山下小学校からだと結構遠い。
走り終えてこの景色が目に飛び込んできたら、さぞかし爽快だっただろう。

向田邦子さんの面影を訪ねて 明石屋2011年12月24日 23時44分

明石屋
明石屋は、創業安政元年の老舗の和菓子屋。
向田さん一家は、ここの「軽羹(かるかん)」がお好きだった。

本店2階の茶房で、お抹茶と一緒に頂く(写真下、右手前が軽羹。奥は軽羹饅頭)。
泡雪のような姿から、フワフワの食感を想像していたが、意外にもモチモチとしている。自然薯と米粉だけで作られているため、噛めば噛むほど粘り気が出てくる。
自然素材の甘みが程良く、上品な味わい。

向田家のおやつの時間を想像してみる。
「おいしいね」
ちゃぶ台を囲んで、子供たちの笑顔の輪が出来ている光景が目に浮かんだ。

明石屋本店…鹿児島市金生町4-16
http://www.akashiya.co.jp/

向田邦子さんの面影を訪ねて かごしま近代文学館2011年12月24日 23時30分

脚本家・向田邦子の顔展
かごしま近代文学館へ「脚本家 向田邦子の顔」展を観に行く。
玄関では、とびきり素敵な笑顔の向田さんの写真が出迎えてくれた。

脚本家としての向田さんに焦点を当てた企画展。
数年前に発見された幻のデビュー作「ダイヤル110番」を始め、大好きな「あ・うん」や「寺内貫太郎一家」、「冬の運動会」など、多数の台本や生原稿、スタジオセットの図面などを展示。
当時の時代背景や、向田さんはもちろんのこと、ドラマに携わった方達のインタビューも交えて展示されており、とてもわかりやすかった。

生原稿は、失礼ながら非常に読みにくい。
一気呵成に書いていったんだなと見てわかる。
向田さんが、ある時印刷所に原稿を持ち込むと、「この先生の字は読み難いんだよ」と、ご本人とは知らずに文句を言われて平謝りしたとエッセイに書かれていたのを思い出し、可笑しくなった(^▽^)
だんだん慣れてくると読めるようになったが、確かに判読するだけで時間が掛かり、印刷所の人は困っただろう。
しかし、流れるような文字に向田さんの熱っぽさが感じられて、当たり前だけど彼女が確かに「生きていた」息遣いが伝わってきた。

「向田邦子の世界」という常設展示室もあり、足を踏み入れると向田さんの部屋が再現されていて、感激してしまった。
向田さんが愛用していた数々の品。彼女のお母様が「鹿児島にお嫁入りさせよう」と寄贈された。
座り心地が良さそうな黒革のソファー。
テーブルの上には「あ・うん」などの台本、原稿用紙に置かれた眠り猫の文鎮や老眼鏡など。
タイの青銅鼓の上には、鉛筆立てにしていたアマゾンの腕輪、原稿用紙を丸めて入れた壺、台本。
ソファーの横には、いつも白いユリを生けていたという李朝白磁とスタンドライト。
ソファーの後ろに液晶の大画面があり、部屋でくつろぐ向田さんの写真が映し出されて、彼女がそこに座っているかのような錯覚をしてしまう。
お気に入りの物に囲まれて、原稿を書いたり、お茶を飲んだり、友人をもてなしたり…。
そんな向田さんをこの品々は見てきたんだな。
向田さんの面影が息づいていると思うと、胸が熱くなった。

山下小学校5年生の時に書いた「除夜の鐘」という詩は、簡潔で美しい作品。情景が目に浮かぶよう。
鹿児島時代、お父様の書斎の本をよく読んでいたそうだが、この詩には文才の片鱗がうかがえる。

「隣の女」のニューヨークロケで着ていたコート2着も展示されていた。
そのうちの1着、J&Rの黒のトレンチコートは、今着ても絶対オシャレだと思う!
黒い毛皮のライナー付きで、仕立ての良い素敵なコート。新品同様に見える。
向田さんのセンスの良さが光っている。
編集者時代、黒い服ばかり着ていて「黒ちゃん」というあだ名が付けられていただけに、やはり黒がお好きだったんだな。

興味深かったのは、向田さんの肉声テープ。
「せい子・宙太郎」の脚本を書く為に、冠婚葬祭業者に取材した時のもの。
結婚式の時には「お開き」と言うけれど、葬式には使わないと説明する業者に対し、「お葬式の時には、何と言うんですか?」と訊ねる向田さん。
「終わりと言います」と答える業者に、「ふ~~ん」と神妙に相槌を打っている。
一つの作品を書く為に、入念な取材をされていたということがわかった。

本当に見所満載で、展示の仕方も素晴らしく、時が経つのも忘れて見入ってしまった。
なんと朝11時から夕方4時過ぎまで長居してしまった!!
図録も購入し、大満足。
向田さんの面影が詰まった文学館を、後ろ髪を引かれる思いで後にした。

向田邦子さんの面影を訪ねて 山形屋2011年12月23日 23時30分

山形屋
向田さんが、絞りの着物を買ってもらった嬉しい思い出が残っているという、山形屋デパート。
ちょっとレトロな雰囲気の素敵な外観。
天文館(てんもんかん)という、「東京でいえば銀座、つまり鹿児島一の繁華街」にある。―「鹿児島感傷旅行」(『眠る盃』)
折しもクリスマス商戦ということもあり、大変な賑わいだった。